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九州・山口の近代化遺産 <世界遺産国際シンポジウム> [建築]

広島福山市の景勝地「鞆の浦」の埋め立て免許を差し止める判決が出たというニュースが流れていますが、瀕死の状態の折尾駅の解体も、一年延期されたという知らせが舞い込んでいます。

今日は、北九州を軸に、九州山口の近代化遺産について考えるシンポジウムのお知らせです。時間のある方はぜひお出かけください。

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戸畑区役所 <往年の帝冠様式> [建築]

さて、ここで問題です。次の三つのうち、戸畑区役所はどれでしょう!?

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高見神社 <昭和の匠> [建築]

北九州の神社の由来をたどって行くと、神功皇后と熊鰐、そして朝鮮が縁起となっていることが多いようです。 高見神社はその色彩が特に強く、神功皇后自らが「洞海湾岸高見の地に建立した」とされています。中世においては麻生氏・小早川氏、近世には黒田氏の庇護を受けながら、「高見大神宮」と呼ばれ、北九州(遠賀・鞍手)一円の信仰の中心となっていったようです。

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面白いのは、明治になってその庇護の主が、官営の八幡製鉄所を中心とした信奉者の集団へと変遷してゆくことです。 まさに「企業城下」と言われる北九州ならではのことと思います。

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堀川 <河守神社のひみつ> [建築]

やっと洞海湾に戻ってきたのですが、ここで、先日ご紹介した水巻の河守神社に関して、貴重なお便りを頂きましたので、是非ご紹介したくなりました。お便りの主は、河守神社氏子総代のご子息です。ご許可を頂きここに転載させていただきます。

『~前略~、親父も仕事を引退してからは、もう20数年も、河守神社に遠足なんかに来る小中学生に堀川の歴史とか神話の話とかしているんよ。 

河守神社のブログ見たど~。 神社の目の前で育った俺にしてみると、なんか嬉しいやら恥ずかしいやら、むすかゆい気持ちやね。 昔はこの神社と裏山が、近所の子供たちの遊び場やったんよ。 境内もこんなに整備されたのは中学(昭和50年)位かの~。 その前はかすかな記憶やけど、小さい頃は神社の前に相撲場もあったような気もするな~。 屋根瓦も確かその頃に葺き替えたんじゃないかの~。 境内の桜は、俺らが登って揺さぶったり、ぶら下がったりして枝ぶりを良くしたんぞ!!

それから、社屋の塀の中に階段があって、それを登って行くと古河守という祠があるんよ。普段は中に入れんから、知られてないと思う。 だからあの神社の建物はいつ建ったか知らんけど、堀川工事の時代からだいぶ後になって建てられたように思うね~。もし行く機会があったら、親父に言えば塀の中に入れると思うよ。オレは勝手に塀を乗り越えて、入っていきよったけどね。 でも、バチはあたったことはない。 桜も見れよ! では、よろしく!!』

河守神社氏子総代の息子さん、貴重な情報有り難うございました。 塀を乗り越えて、無断進入された件は、お父様には黙っておきます。 桜は今年はもう時期を外してしまいましたので、葉桜で枝ぶりを鑑賞させていただきます。 (撮影:L.T.2007年3月)


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堀川へもどる <河守神社> [建築]

おっと、堀川を通るのに守護神である「河守神社」にお参りせんで通り過ぎてはなりません。 おおもとは京都貴船神社、つまり「水の神様」です。水巻町商工会のHPによりますと、1194年(建久5年)源頼朝の家人、宇都宮上野介麻生重業が花尾城を築くとき、農耕水利災難厄除守護神として、現在の水巻町吉田小学校の南にある、貴船神社へ、京都より五柱を分祀したとあります。

さらに1760年(宝暦10年)に、この五柱のうち大山祇神岡象女神を一柱分祀することで、河守神社は建立されたようです。現在の建物がそのとき以来のものなのかどうか、いま筆者の知るところではありません。どなたか、ご存知の方がありましたら、コメントをお願いしますm(._.)m 

この岡象女神(「みずはのめのかみ」と読むそうです)とともに、1751年(宝暦元年)堀川工事を再開した、黒田家の第六代当主、黒田継高も祀られています。堀川の工事は1762年(宝暦12年)に完成していますので、まさに堀川を守るために、造られた神社ですね。

この神社の狛犬は、ちょっと変わっていて逆立ちをしています。水巻は頃末の伊豆神社の狛犬も同じように逆立ちをしているのですが、この辺りの神社にはどうも変わりものが多く独特の狛犬文化圏を形成していて、狛犬研究者にとっては貴重な存在だそうです。さすが、川筋は「げってん」もんがおおいとですね。

また、河守神社と遠賀町の高家天満宮、岡垣の高倉神社は、奉納相撲がさかんで、『遠賀の三大相撲』と呼ばれていたそうです。

<撮影:K.B.>2007年2月※2枚とも


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洞海湾ふたたび [建築]

堀川から、河内を廻ろうか、順当に折尾駅に向かって堀川沿いに洞海湾に戻ろうかと考えていましたが・・・。前回のコメントで、上野海運の話題となり、いち早く当ブログの専属フォトグラファー写真を送ってきてくれましたので、一度洞海湾は若松バンドに戻ります。 現在上野海運さんの所有ということですが、もとは三菱鉱業の石炭売買のための事務所として、建設されたということです。 左に見える蔵の妻側に三菱のマークが見えますね。私の親父は三菱の新入炭鉱で機械技師をしており、昭和37年の閉山を期に鞍手から、黒崎の三菱鉱業セメント(現マテリアル)に移動になりましたので、多少の縁を感じてしまいます。

「北九州の近代化遺産」北九州地域史研究会編)によりますと、外観は鉱滓レンガといって、製鉄の際産出される残り滓(かす)を素材として使ったリサイクル煉瓦』だそうです

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香月大辻炭鉱 [建築]

中間から東南に入ったところに、香月大辻炭鉱跡があります。筑豊炭鉱の御三家の一つ、貝島太助が切り開いたつわものどもの夢の跡です。何度も独立創業に失敗を重ねた末、大成功を収めるきっかけとなった、貝島炭鉱創業記念の地でもあります。

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遠賀川(3) <取水場> [建築]

中間の唐戸のあたりに、新日鉄(旧八幡製鉄)の中間取水場があります。1910年(明治43年)に完成。ロマネスク様式の香りのする、味のあるデザインです。内部はイタリアや南フランスにあるロマネスクの教会にひけをとりません。正式名称を遠賀川水源地第一ポンプ室と言い嬉しいことに、土木学会の近代化遺産リストの中でも、Aクラスに入っています。

明治後期とはいえ、国内でも相当洋館建築だったと思います。しかしなぜ、ポンプ小屋ごときに、このような立派な建築を建てたのでしょうか。周囲には、八幡製鉄のポンプ技師たちの中級職員用社宅(当時は官舎)がありましたが、その官舎に比べて、とても豪華な建築でした。

当時ポンプは蒸気で動いたのです。8基の石炭ボイラーと気動ポンプ4基で構成され、この建物にはボイラーのための煙突があったそうです。昭和26年に電動のポンプに換えられたとき、撤去したのでしょう。蒸気ポンプはたぶん輸入で、当時相当高価なものだったので、それを入れる器も立派な建物を用意して釣り合わせたと思われます。人件費より近代設備の方がずっと高価な時代、つまり「ポンプ様」だった訳です。

また、製鉄にとって水が重要な資源であったことも、この施設がこれだけ立派な建築となった理由のひとつでしょう。 しかし、この建物に限らず八幡製鉄の土木建築遺産群が、いずれも優れたデザインであるのは、何よりも、製鉄きっての「シビルエンジニア」沼田尚徳技師によるところが大きいと思われます。沼田技師については、人気の書籍「北九州の近代化遺産」の中で詳しく取り上げられています。

<撮影:R.T.>2007年1月※2点とも


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若松バンド(4) <お別れ> [建築]

・・・君と長いあいだ一緒にここで過ごせて、楽しかったよ。このあたりも寂しくなるなぁ、君が居なくなると・・・、そんな会話をしているようにも見えます。

麻生商会の解体が決まって、足場がかけられようとしています。昨年の暮れでした。私たち、北九州人はこんな小さな遺産も、将来に残せないのでしょうか

川筋の人間のはしくれとして情けなくなりました。


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若松バンド(3) <華麗な…しかし、か弱く守るべき建築たち> [建築]

 

明治20年頃、筑豊炭田の積み出しのために鉄道が引かれることになりました。当時は遠賀川の水運が主流で、芦屋がその積み出し拠点となっていました。鉄道がそれに変わるものとして芦屋に終着駅を、という話があったようです。この様子は、若松が誇る火野葦平さんの『燃える河』に活き活きと描かれています。(おすすめ

いろいろと議論の末、若松が終着+積み出し駅となったため、塩田くらいしかなかった寒村に、全国でもいち早く近代化された街が出現しました。たとえば若松に下水道が完備されたのは、日本で2番目だそうです。

写真中央やや左のネオルネッサンス様式の建物が、旧古河鉱業ビル。地元の方々の貴重な運動の末解体を免れました。  その左の旧麻生商会若松支店ビルは、旧帝国ホテルフランク・ロイド・ライト)と同様のスクラッチタイルを擁した、20世紀初頭のアールデコ様式の貴重な遺産でしたが、昨年暮れ解体されたそうです。北九州はまたひとつ、大事なお宝を無くしてしまいました。寂しい限りです。

今回の解体は、単体のお宝を失っただけではなく、写真のように隣り合った歴史的建造物が生み出す、街並みの持つ価値をも失いました。建築デザイン・技術史の見地から、貴重なサンプルであったと思いますし、それ以上に若松・北九州・筑豊の近代化を物語る重要な『連続的』『面的』文化遺産を失ったという点で、大きな喪失であったと思います。

現在、この写真のような風景はもう無いと言うことですが、私はまだ解体後の景色を見ていません。この風情はもう二度と再現できないでしょう。覆水盆に返らず…


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