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雲取と鷹取 <兵どもが夢のあと> [物語]

何気ないダムの風景、ここは直方市頓野(とんの)畑(はた)にある、内ヶ磯ダムです。 何気ないといっても今は何かと話題のダムですが、今日はそのような現代の生くさい話ではなく、遠い戦国時代の生くさい話になります。

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筑豊地方も瀬戸内に並ぶくらいため池の多い土地ですが、このような貯水池はあちこちに見られ、多くの畑地を潤しています。

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見下ろせば美しい里山の風景、そして拙者赤か毛が密かに新潟のお米に肩を並べると、自慢している見事な棚田が広がっています。

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見返すとダムの堤防が左奥に小さく見えますが、実は今日の話題の主役は、このダムではなく、ダムを挟んで小ぢんまりとそびえる二つの山なのです。

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写真では位置関係がわかりにくいので、地図を用意しました(^o^ゞ・・・(天才カメラマンのL.T.さんが・・・)

「現在地」と赤く書かれているところが、ダムの堤防の下あたりです。ダムは実は二つあり、内ヶ磯ダムの上にもうひとつ、一回り大きな福知山ダムがあります。そしてその両側にある二つの小山が、雲取山(左)と鷹取山(右)です。(中央奥にそびえるのが福智山。)

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戦国の当時・・天正年間といいますから、いまから約450年前、海外貿易で栄える博多芦屋の覇権を争い、山口の大内氏と大分の大友氏の二大勢力、それに地元の麻生、香月、宗像、毛利の各氏が入り乱れ、筑豊を主戦場に戦っていたそうです。

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雲取を任された麻生、その後ろ盾の香月氏、背景は山口方の大勢力大内氏。一方鷹取に城を構えていたのは、大友の大軍勢に支えられた毛利鎮実(しげざね)でした。

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実際の戦いに加え、情報戦や外交交渉も盛んに行われ、麻生氏は大友方に寝返ろうとしました。その情報を察知した、畑城の香月氏は激怒し、雲取城を奇襲。麻生氏を壊滅するに加え、この頓野の地まで落ち延びた子女を含む40人を皆殺しにしたといいます。

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頓野自体の地名は、残念ながら今の赤か毛には知る手がかりがありませんが、上頓野のお寺に「麻生墓」という石祠があったり、四十塚という地名・バス停などが残っているようです。

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戦乱の世の記憶が、地名やバス停名に残るだけではなく、麻生墓は木屋瀬の麻生氏の末裔が、雲取城落城を偲んで建立されたもので、今も木剣などを上げて祈願をする人が絶えないそうです。

秋の景 つわものどもが 夢のあと  (芭蕉翁原作を秋に読み替えさせていただきました)

撮影:2008年10月 L.T. <9枚とも>


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コメント 11

つぼっち

地名の由来には興味深いものが多いですね。
40人を皆殺し、というところに執念を感じます。
by つぼっち (2009-11-01 11:31) 

赤か毛

keykunさん、早々のご訪問&nice!ありがとうございます。
by 赤か毛 (2009-11-01 12:51) 

赤か毛

つぼっちさん
何気ない風景の中に眠っているいろいろな物語
つぼっちさんは街歩きの中で、いろんなことに出会うんでしょうね。
by 赤か毛 (2009-11-01 14:08) 

お茶屋

100記事目、おめでとーーーございます☆
by お茶屋 (2009-11-02 09:29) 

赤か毛

お茶屋さん、ありがとうございます。
いままで気がつきませんでした(^o^ゞ
そうなんですねー!
by 赤か毛 (2009-11-03 15:37) 

wanwanmaru

ほのぼのとした風景ですが、過去にそんな血生臭い出来事
があったなんて・・。

各地に残る物騒な地名もそういう過去の出来事が元になって
いるんでしょうね。
by wanwanmaru (2009-11-05 21:29) 

赤か毛

wanwanmaruさん、こんばんは!
風景が閑としているので、余計に戦国の物語が
いきいきと見えるようですね。
まさに「つわものどもが夢のあと」です。
生き延びるために、豊かになるために、
いろんな夢を見たのだと思います。
by 赤か毛 (2009-11-05 21:35) 

Pace

ご訪問とnice!ありがとうございました。
今のこの穏やかな風景から、そのような歴史を
想像するのは難しいですね(’’)
by Pace (2009-11-07 23:45) 

二つ目草

先日、福智山の花公園に行って、
中にあるお茶屋さんでぜんざいを食べていましたら、
壁に遠賀川河川事務所が作った遠賀川流域の立体地図がかけてありました。
それを見ると、今の行政区分とは違った自然の区分けがよくわかりました。
歴史的な人の動きもそれに沿っているのだなと。
分水嶺によって分けられる水運の向き。
戦略的な山城の場所。
八幡製鉄所と河内貯水池の配置などなど。
家族にあきれられながら、ずっと壁の立体地図を眺めていました。

こうして、のどかな風景に隠れた歴史を教えていただいて、
現地のつわものどもが夢のあとを訪ねてみたいと同時に、
またあの立体地図で俯瞰をながめてみたくなりました。
by 二つ目草 (2009-11-08 07:26) 

赤か毛

Paceさん、ようこそ遠賀・洞海湾通信へいらっしゃいました。
こちらこそありがとうございます。
九州にもヨーロッパに匹敵する歴史の集積があるのですが
かなり控えめに語り継がれています。
by 赤か毛 (2009-11-08 19:12) 

赤か毛

二つ目さん、いつもありがとうございます。
私も、さっと訪れることが出来たらと、思うのですが
なかなか・・・

香月氏の根城は、畑貯水池のある「畑」城だと思うのですが
この内ヶ磯ダムのある「畑」という地名は、畑城の見張り所があった
その名残ではないかと思います。

花公園は「畑」のすぐ近くですね。
それから、マイナリストの響さんが、面白いレポートをされています。
いつか行かれたときの参考になさってください。
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2009-05-02
by 赤か毛 (2009-11-08 19:31) 

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