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黒崎宿 <曲里の松> [街道]

初夏の空に、ひときわ高い老松。 どのくらい長くこの街を眺めてきたのか、聞いてみたいようなその姿に沿って目を落とす。 愛着のある山の端のかたちが目に入る。

山の稜線に競うように存在をアピールする石積み。 そう、ここは長崎街道黒崎宿、曲里の松並木。 筑前六宿の始めの宿です。 黒崎宿の始まりは、以前取り上げた黒崎城の築城1604年です。 筑後・肥前・肥後・薩摩の殿様たちの参勤交代に利用されていました。 福岡藩筑前の国の東端にあったので、旅人の手形をチェックする役所や、参勤交代の殿様が宿をとる「本陣」があったそうです。 焼き鳥の「○○本陣」と言う名前は、ここから来ているのでしょうか?

宿場のゲート「構え口」は、東側が黒崎城の南、現在の神蹟山海蔵庵にあり、西の構え口は熊手商店街の西端にあったそうです。 この松並木は、宿を西側に出て次の木屋瀬の宿へ向かう最初の景色だったわけですね。 当時の日本の窓口だった長崎への道だったので、いろんな新しい文化やものが行き来したはずです。 徳川の世になり、整備された主要幹線道路の五街道(東海・中山・甲州・日光・奥州)に準じる街道を『脇街道』と呼ぶそうですが、長崎街道は九州で唯一の脇街道でした。

並木の間から眺める皿倉・帆柱の山並みはなかなか絵になります。 この松並木は、徳川幕府が全国に街道を整備したとき、杉や松の木を植樹させた名残だそうです。 このエリアに冒頭に挙げたような老松が3本あり、平成11年の台風18号でそのうちの1本が倒れました。 郷土史家の方が調べたところ、樹齢は推定143年。 最後の参勤交代(1862年)を見詰めたかも知れないということです。

黒崎の宿には、いろんな役所に加えて交通の手段として馬が備えてありました。 藤田と熊手の両村から5頭ずつ、それに周辺の郡部から2頭の合計12頭が常備されていたそうです。 臨時の場合はいわゆる「助郷」(むかし歴史で習いましたね!?)として、近村から人と馬を調達しました。 宿場が栄えるに従って、そういう農民の負担も増えていったため、1764年これまでの「運賃」に対して80%の増額を幕府に陳情して認められ、東海道に次ぐ賃銭となったそうです。 脇街道と言えども主要五街道並み…ひょっとして、全国で2番目に高い通行料だったかもしれません。 幕末にかけてはさらにこの街道の重要性は増したのではないでしょうか。 いずれにしてもこの松並木、多くの人たちの思いが詰まった、一級の歴史的景観となっています。

夕日に映える皿倉山頂。 どれほど長くこの地域の変遷を眺めてきたことか。 「国破れて山河あり」、昔は戦乱によって都市が街が破壊されて、こう謳われましたが、現在、都市や街の自然や景観を壊しているのは何か、考える必要があるようです。

撮影:2007年6月 L.T. <5枚とも>


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コメント 14

wanwanmaru

この松並木は、宿場町・黒崎を最も象徴するものなん
でしょうね。当時の繁栄が偲ばれます。

長崎街道は西洋文化の通り道となったわけですから、
その重要性は相当なものだったと思います。そういう
意味ではちょっと誇らしげな感覚さえします。

今後も末永くこの松並木を保護していって欲しいですね。
by wanwanmaru (2007-07-01 22:49) 

またまたまた、いいところを教えていただきました!
_ψ(‥ ) カキカキ...しておこう。
最後の写真はいいですねー。皿倉山最高です!
焼き鳥といえば、戦国時代にうまれたから、
その時代にゆかりのある名前が多いって説は
本当なんでしょうかね?
by (2007-07-02 22:38) 

赤か毛

caramelpapaさん、そうでしたね。
このあたりこの様に整備されたのは最近です。
といっても昭和63年から平成元年にかけてだそうで、
もう20年前の話ですね。
by 赤か毛 (2007-07-03 06:51) 

赤か毛

wanwanmaruさん、体調はいかがですか?
200号線を黒崎に向かってくると、なだらかな下りになっていますね。
当時木屋瀬方面から来ると、宿場が近づくと洞海湾が見えたそうです。
ここから、陸路を小倉方面へとるか、海路で直接大阪方面へ
行ったりしたようです。

江戸末期の小田宅子さん(高倉健さんの御先祖)lは、
中間から遠賀川を下り、芦屋に出て、そこから下関~瀬戸内~大阪
というコースをとっています。

大阪方面から来た人は、黒崎から陸路で長崎街道を下るか、
舟で堀川に入り遠賀川に出て、飯塚方面へ、あるいは
赤間方面へ行くといった選択もありました。
いわゆる交通の要衝だったわけですね。
by 赤か毛 (2007-07-03 07:04) 

赤か毛

jallさん、おはようございます。
焼き鳥は戦国時代に出来たんですか!?
焼き鳥の歴史も紐解いてみると、面白そうですね!!

そういえば、最近「焼きとりおいちゃん」さん、お元気かな?
ちょっと聞いてみよう!
by 赤か毛 (2007-07-03 07:06) 

keykun

故郷の山並は幾つになっても記憶の片隅に有るものですね。
知らない土地でも似た山並を見ると落ち着くような処が有ります。
それだけに大事にしたいものです。^^;
by keykun (2007-07-03 19:42) 

赤か毛

keykunさん、山はどうしてこの様な安心感を与えてくれるのでしょうね?
とても不思議です。
keykunさんのふるさとの山は、どんなですか?
by 赤か毛 (2007-07-03 19:59) 

赤か毛

takagakiさん、いつも御訪問&nice!をありがとうございます。
by 赤か毛 (2007-07-03 21:15) 

二つ目草

ここはうちからもそう遠くないところにありますが、ここを歩けば、やはり鎖国時代に異文化を求めて行きかった人々のことを思い浮かべてしまいます。
当時の松はもう2本しか残っておらず、ほとんどが昭和40年代に植えられたという若い松ではありますが、吉田松陰もシーボルトも、この道を踏み、同じ光景を眺めたに違いありません。
この先をさらに進んだ立場茶屋銀杏屋や、次の宿場である木屋瀬宿も、長崎街道の当時が偲ばれる場所となっていますね。
by 二つ目草 (2007-07-04 23:02) 

なすがままに

この松並木を歩くと400年前にタイムスリップしそうです。江戸時代の人はこの道を歩いて2週間かけて長崎まで行ったのですね。それが今じゃ高速を走れば2時間です。九州新幹線も整備されればもっと速くなる事でしょう。
江戸時代の人が今の時代にタイムスリップしたら多分逃げ出すでしょうね。
by なすがままに (2007-07-05 11:27) 

赤か毛

二つ目草さん!長崎街道については、ほんとうはすべて二つ目草さんにお任せしたいくらいですが、北九州を語るには、やはり避けて通れない様ですので、遅ればせながらの掲載です。
さっそく、トラックバックを頂き有り難うございました。
スタンプラリーや竹灯籠のイベント、黒崎の方々もすばらしい活動をされているのを知り、感激しました。
このような努力をなんとか無にしないように応援したいと思いますが、さてどのように?と考えるとなかなか難しいものがあります。
せめて、このようにブログで、そのすばらしさをより多くの方々に伝えて行くことが、まず今の自分に出来ることと考えています。
by 赤か毛 (2007-07-05 12:56) 

赤か毛

なすがままにさん、こんにちは。
おっしゃるとおり、移動の早さに目を見張るどころか、大いに困惑する事と思います。
私は最近特に「早すぎる時間」がもたらす弊害を感じています。
Time is money. は、確かにその通りでしょう。 しかし…
But you've lost someting Important.
その代わりに置き忘れているものも多いのではないかと思います。
街道を行きつつ、交渉において最善の策を練る、といった時間は
けっして無駄ではなかったはずです。
by 赤か毛 (2007-07-06 08:17) 

tadaatsu

松の木の写真、話題に、つい反応☆いつもありがとうございます
by tadaatsu (2007-07-16 02:04) 

赤か毛

tadaatsuさん、コメント&nice!ありがとうございます。
松の群生は、日本の風景に合いますよね。
鵠沼でも、1本でも多く残るように願っています。
by 赤か毛 (2007-07-16 12:25) 

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