So-net無料ブログ作成
検索選択

遠賀川(2) <古代の物語> [物語]

ある「邪馬台国九州説」論者である厚木市の平松さんが作成された、『遠賀内湾』地図です。額田王が船出の歌を詠んだ当時、このあたりの水位が現在より10mほど高かったということですが、現在の地図で標高10mの地点を結んでゆくと、このようになるそうです。

遠賀川流域と洞海湾がつながって、なんとも複雑な入り江が見えてきますね。若松や門司はこの複雑な内海に浮かぶ島です。この海を渡るときの景色はどんなだったでしょう? 想像するだけでもなんだかわくわくします。

今度、遠賀川の土手を車で走ることがあったら、見渡す平地がずっと海だったというふうにイメージしてみてください。 なんだか不思議な感じですね。 特に鞍手にお住まいの方々には、うれしい学説ですね。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 2

廣重 彰

やっとたどり着きました このページ。
すばらしい~~~~!!です。
今から50年前から私も遠賀湾の構想を考えていました。
それと行橋も入り江 湾があり琵琶隈神社が在ります。
遠賀=山門、英彦山=山処

by 廣重 彰 (2016-10-29 14:41) 

河野俊章

情報をありがとうございます。私も古くから邪馬台国論を持っており、不彌国と書かれている場所(奴国から東へ百里)はこの遠賀内海か洞海湾沿岸であったことは間違いないと思っています。
小舟が主流であった当時では、ここが天然の良港(小舟が大嵐の時でも守られる場所)であったことに間違いないと思うからです。
ここから出発し、20日で投馬(ツマ)国(現西都市)に20日で行ったと思っています。
どこかほかの場所で引用(画像利用)したいと思いますがよろしいでしょうか? ja4dob@onomichi.net
by 河野俊章 (2017-05-28 11:04) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。